奈良県の「吉野」がマジ本気で良いところなので全力で推したい(寄稿:ヨッピー)
ライターのヨッピーさんが、奈良県「吉野」の魅力を紹介します。金峯山寺や吉水神社などの観光地がある他、自然が豊かな場所としても知られる吉野。ヨッピーさんにとっては大好きな祖父母の家があった場所でもあります。吉野を通して「好きなものを好きと発信する大切さ」を提案します。
奈良県に「吉野」という地域がある。
僕のおばあちゃん家はその吉野にあって、関西の人に「おばあちゃん家は吉野で~」みたいなことを言うと高確率で「ああ、良いところですね」って言われる。そう、吉野は完全無欠に良いところなのだ。
逆に言えば東京の、打ち合わせの席なんかで「おばあちゃん家は吉野で~」と言うと「ん……? よしの……?」みたいなリアクションをされるので激怒する。激怒して相手が開いてたノートパソコンの画面を正拳突きで叩き割る。「今すぐに上司を出せ!」って泣き叫びながら地面をゴロゴロ転がる。「吉野の良さ」を全国民が理解していない現状については本当に納得がいっていない。
「吉野」という地名にピンと来ない人でも、日本一の桜の名所といわれる「吉野山」の名前は聞いたことがあるかもしれない。吉野山には200種3万本の桜が密集していて、桜の品種「ソメイヨシノ」は吉野にちなんで名前がつけられた。ボカロ曲のタイトルとして有名な「千本桜」も元々は吉野に由来する名称だ。
そして吉野山ともうひとつ、吉野を構成する大事な要素が「吉野川」だ。清流で知られる吉野川には釣り客が鮎を釣りに来たりするし、夏になるとたくさんのキャンプ客が川岸にテントを建て、川に入って遊んだりするのだ。
そんな吉野にある、小さな小さな集落である「宮滝」に僕のおばあちゃん家があるのだけど、この宮滝、関西圏では飛び込みができる屈指の川遊びスポットとして知られていて、夏休みのシーズンになると大阪や京都といった関西圏からたくさんの人がやって来る。
悲しいかな「お酒を飲んで川に飛び込んでそのまま流される」みたいな水難事故が多発し、高い崖からの飛び込みは現在禁止されているのだけど、それこそ僕は赤ん坊の頃から毎年夏になるとおばあちゃん家にやってきて、この宮滝を流れる吉野川でせっせと遊んでいたのである。
写真にある橋の上から、おばあちゃんが「お昼できたで~!」と川で遊ぶ僕らに声をかけ、それを聞いたらいそいそとおばあちゃん家に戻っておにぎりとウインナー、卵焼きに味噌汁、みたいなお昼ごはんを食べる。
子どもの頃の僕。
おっさんになった僕。
この清流を見よ。
僕は本当に夏が大好きで、夏を満喫するために毎年8月はあんまり仕事を入れないようにしている。そうやって夏の仕事をサボってはこの吉野川に泳ぎに来たり秩父でキャンプをしたり、田舎の方に行って夏休みらしい遊びをするのが大好きなのだ。
今年の夏だってそのつもりだった。しかしながら今年は梅雨が長引いたせいでこの宮滝に集団で遊びに来る予定が中止になり、梅雨のせいでできなかった取材が8月にズレ込んで仕事のスケジュールが詰まり、「夏らしいことができてないから夏を取り戻すぞ!」というテンションで4日間沖縄に行ったうち3日間は台風が直撃して発狂しそうになった。っていうか、した。暴風で揺れる沖縄のホテルの中でテキーラをあおり、泣きながらカチャーシー(※)を踊った。
(※)……沖縄民謡にあわせて両手首を頭上で回しながら振る踊り
そのぐらいには夏が大好きなのだけど、その理由として毎年夏休みになるとこの宮滝の川で泳いだり、カブトムシを捕ったり、蛍を見に行ったり、花火をしたり、スイカを食べたりそうめんを食べたり、「完璧」と言ってもいいぐらいの夏休みぶりを経験していたことが大きい。僕は夏になると、いつだってこの、宮滝の夏を見ている。
実はこの宮滝、その昔天皇の離宮があった場所でもあるくらいには風光明媚である。飛鳥時代に、斉明天皇がこの地に吉野宮を作ったそうだ。
吉野宮には、その後天武天皇、持統天皇、文武天皇、元正天皇、聖武天皇などの行幸(ぎょうこう:天皇の外出)があった。672年の壬申の乱の時には大海人皇子(のちの天武天皇)がこの宮滝から出立(しゅったつ:出発)されたという。手塚治虫の「火の鳥」にだって吉野宮は登場する。
吉野山も含めて、そんなふうに由緒正しき歴史があって、僕にとっては思い出深い吉野が現在、過疎化に悩んでいるらしいのだ。実際、おばあちゃん家は元々、最寄り駅である大和上市駅(やまとかみいちえき)からバスで行くことができたのだけど、採算が悪化して路線バスが廃止されてしまった。現在は最寄り駅からおばあちゃん家までは、タクシーを使うくらいしか行くすべが無くなってしまっているのである。
あのさ、
吉野やで?
もう一度言うけど、吉野やで?
さっきも言った通り、吉野はめちゃくちゃ良いところである。
これは別に僕が勝手に言ってるだけではなく、「吉野はめちゃくちゃいいところだな~」みたいなノリで詠まれた歌が万葉集にはたくさん収録されている。
よき人の よしとよく見て よしと言ひし
吉野よく見よ よき人よく見つ
天武天皇
「昔から良い人が『こりゃええぞ』と言った吉野をお前らも良く見とけや」 ※編注:ヨッピー訳
見れど飽かぬ 吉野の河の 常滑の
絶ゆることなく また還り見む
柿本人麻呂
「吉野の川、ずっと見てても飽きないからマジ永遠に見られるわ」 ※編注:ヨッピー訳
他にもこういう歌がゴロゴロある。西行法師が庵を作ったのも吉野だ。松尾芭蕉だって吉野に来た。南北朝時代の南朝があったのも吉野だし、義経が逃げ込んで静御前と泣く泣く別れたのも吉野だ。「悠久の歴史」という言葉がこれほどしっくり来る場所もなかなかないと思う。
ちなみに吉野までは、車でも電車でも
大阪からは約1時間30分、京都からは2時間ほどで着く。
そんな吉野が過疎?
みんな、もっと吉野に行った方がいいんじゃない?
というわけで行って参りました!
ちなみにこのメディアの運営元は楽天カードで、企画を出した時に運営から「ヨッピーさんが吉野に行くのと楽天カード、何の関係があるんですか?」と聞かれて「さあ?」としか答えられなかったのだけど、その後「やはりカードだと記録も残るから旅と相性がいいよね」「旅なら楽天カード! 一択!」「プライオリティパスも安くゲットできる!」「楽天カードマンに僕もなりたいです!」みたいなことをゴリ推ししたらふんわり通りました。ヤッP~~~!
というか僕は普段からゴリゴリの楽天カードユーザーなのでちょっとぐらい還元してくれたってええやんけ! ※参考資料:お金の話について
吉野に行こう!
さあ、そんなわけで張り切って「吉野に行くぞ!」と思って大阪阿部野橋駅に向かう。吉野に行く時に乗りたいのがこの新しい特急「青のシンフォニー」です。
ね? ね? カッコよくない? これに乗って吉野に行きたくならない?
なるでしょ? そんなわけで「ワーイ! 青のシンフォニーに乗るぞ~!」とか思って意気揚々と阿部野橋のチケット売り場に行ったらゴリゴリに売り切れてました。
企画を出す時は担当編集に、「この、青のシンフォニーっていうカッコいい特急に、ワイは乗りまんのや!」と高らかに宣言し、担当編集が「おお! いいですね! これは映えそう!」って喜んでたこともあって、取材が終わってからも「青のシンフォニーに乗り損ねた」という事実を言えなくて悩んでいたのですが、悩み過ぎて段々「なんでワシがこんなことで悩まなあかんのや!」と腹が立ってきましてね。
「青のシンフォニーについては全部なかったことにする」という斬新なメソッドで一切触れずに原稿を提出したら「あれ? 青のシンフォニーは?」ってすぐバレました。みなさんもミスった時はすぐ謝りましょう。
仕方ないので普通の特急に乗って、近鉄吉野駅に着いたらそのままケーブルカーで吉野山に登る。ちなみに「紅葉本番前」くらいの時期の日曜日に行ったのですが、お客さんの数はまばら。
紅葉がぼつぼつ色づいてきたかなぁ、ぐらい。
これが、お花見の時期となるとゲロ吐くかと思うくらいに人が増える。本当に増える。近年は外国人観光客の数だって多い。
山頂に着いたらへんに鮎の塩焼きを売っていたので食べました。うまい。頭からしっぽまで全部食べられるよ。
この辺は人通りもまばらな感じなので落ち着いて散策できる。お花見の時期に全国から、そして世界中から人が押し寄せてすさまじい混雑ぶりになるのが嘘みたいである。
山頂にある金峯山寺の国宝、仁王門は現在修繕工事の真っ最中です。
そして同じくこちらも国宝の蔵王堂!
写真だと伝わりづらいけどめちゃくちゃデカくて迫力がすごいよ。
金峯山寺は7世紀に役小角(えんのおづぬ)が開創したと伝えられていて、修験道の聖地として知られる。現在の蔵王堂は1592年に建立されたもの。木造の古建築物としては東大寺の大仏殿に次ぐ国内二番目の大きさ! デカい!
参道にはたくさんの商店が並んでるよ。僕の母親は昔、この吉野山の商店でバイトをしていたことがあるそうだ。当時からお花見の時期、約2週間の間に年間の売り上げの半分以上を稼ぎ出すようなお店もあったらしい。
そういった商店やお食事処の多くはこんな感じで山の上からの展望が素晴らしいのでゆっくり名物の柿の葉寿司なんかを食べよう。
こちらが柿の葉寿司。その名の通り柿の葉で巻いてある押し寿司で、サバや鮭(サーモン)、アナゴなんかの種類がある。柿の葉の風味がきいておいしく、僕も子供のころから吉野に来るとよく食べている。
大阪から友達を連れてきた時なんかに、グループ内に「柿の葉寿司を初めて食べる」みたいなやつが混じっていると「それ、葉っぱごと食べるんやで」ってウソをついて柿の葉ごと食べさせて爆笑するというひどい遊びが流行りました。全部僕のせいです。
そしてこちらは吉水(よしみず)神社。
吉水神社には、いわゆる「書院造り」の名建築として世界遺産にも登録されている書院があり、また、源義経と弁慶が身を隠した座敷があることや、豊臣秀吉が吉野山の大花見を行った際の本陣として利用されたことで知られる。
こちらは源義経が潜伏したとされる座敷。
吉野山 峰の白雪 踏み分けて
入りにし人の 跡ぞ恋しき
「吉野山の雪を踏みながらどっかに行っちゃったあの人の跡、マジで超切ないんですけど……」 ※編注:ヨッピー訳
という、義経との別れを惜しんだ静御前の歌が吉野に残されている。
そして桜の時期には「一目千本(ひとめせんぼん)」と言われる桜の絶景がこの吉水神社から見られる。今は桜が咲いてないけど、それでも素晴らしい眺めである。
ちなみにお花見の時期の吉野山はこんな感じになる。
あちこちで桜が咲き乱れて、桃源郷とはこのことか。
近くのお茶屋さんで豆乳パフェを食べたり、
吉野葛(くず)の名店ではこちらのお兄さんが吉野葛を使った葛切り(くずきり)の制作風景を実演してくれるぞ!
ちなみにこの日は僕以外にカップルがひと組いただけだったのですが、お兄さんが僕らを三人組だと勘違いして「三人ですか?」と聞いたタイミングで、カップルの女性が即座に、ちょっと食い気味に、「いえ、二人です」って言いました。言い切りました。
「あのくたびれたおっさんとウチらを一緒にせんといて」
「葛を食べに来てクズと一緒にされるとは思わなかった」
「あのおっさんは孤独、ウチらは幸せなカップル」
あれは完全に、そういった諸々の感情を全部込めた「いえ、二人です」でしたね。
呪い殺されるかと思った。
こちらが「中井春風堂」さんの透き通った葛切り。
賞味期限は10分なので現地で食べよう!
そんな中井春風堂さんは実演を見てからの食事となるため、待ち時間が発生することもある。
そんな時は「宝の家」さんの絶景露天風呂に入りに来よう。
桜の時期はもとより、紅葉のシーズンや新緑のシーズンでも開放感があってめちゃくちゃ気持ちいいぞ!
ちなみに紅葉の時期、高城山展望台に続く「坂道の紅葉」。
吉野山に来るならやはり春か秋、そして新緑の時期がおすすめ!
もう一度言うけど、吉野山に来るなら、まずは春か秋、もしくは新緑の時期に来るといいよ!
あとはそれ以外のシーズンでも、いろんなイベントをやっていたりするので公式HPなんかをチェックしながらイベント目当てに遊びに来るのもいいかもしれない!
僕のおばあちゃんが住んでいた「宮滝」
そしてここからは冒頭で話した「宮滝」を紹介したい。まずはここにある案内図を見てみよう。
何を隠そう、ここに書いてある「山田さんの傘・提灯」というのがつまりは僕のおばあちゃんの家なのである。この記事を書くまで、僕自身もこんなふうにおばあちゃん家が観光地化されてることを知らんかったわ。
僕のおじいちゃんは時代劇に出てくるような、竹と油紙でできた番傘、及び提灯の職人として長年この吉野の地に暮らしてきたのだ。
1970年8月8日の毎日新聞より。「番傘作り」という完全無欠の伝統工芸は僕が産まれる前からやはり珍しかったらしく、新聞の他にもテレビなんかにたびたびおじいちゃんが出ていたことを覚えている。
おじいちゃんが作った番傘を裏の畑に干している風景。今であれば「インスタ映えする場所」として話題になっていたかもしれない。
こちらがおじいちゃんの仕事場。今でも仕事道具のあれこれは残っている。もうおじいちゃんは亡くなってしまったのだけど。
宮滝にかかる柴橋。
夜、この橋の街灯の下でねばっていると「バチッ!」みたいな音とともにカブトムシが落ちてくるので拾ってはせっせと虫かごに入れた記憶がある。
おばあちゃんから貰ったおこづかい100円を握りしめて毎日通った商店「コメダ」も今は廃業してしまった。
おばあちゃんと孫3人で撮った写真。手前の赤いのが僕である。
僕は子どもの頃からおばあちゃんっ子で、おばあちゃんの家に居る間はおばあちゃんが近くに居ないと気が済まないらしく、おばあちゃんが週に一度、詩吟を習いに出かけるとその直後から「おばあちゃんはいつ帰ってくるの?」を連呼して母親を悩ませた記憶がある。というか総勢6人居る孫は全員おばあちゃんのことが好きだった。
中学生くらいになると、今度は親を抜きにして友だち連中を引き連れておばあちゃん家に泊まりに来て、そうめんだの玉子焼きだのあれやこれやと作ってもらった。
おばあちゃんは元気な人で、高齢者になってから原付バイクで事故を起こし、足の骨を折って「もう元通り歩けるようにはなりません」と医者から断言されたあとでもメキメキ回復して普通に歩けるようになって医者が目を白黒させた。
そんなおばあちゃんでもおじいちゃんが亡くなってからはめっきり元気が無くなってしまった。その頃の僕は「おばあちゃんだっていつか亡くなる」という事実を薄々理解しながらも、なんとなくその事実から目を背け、なるべく考えないように生きていた気がする。そんな人はきっと僕以外にもたくさん居る。悲しい事実が待ち受けていることを、わかってはいるけど、なんとなく目を背けながら生きているのだ。悲しい事実からは誰だって逃げたくなる。
そして今年、おばあちゃんも亡くなってしまった。94歳ということなので大往生と言ってもいいのかもしれないけど、やっぱり亡くなってしまうと「元気なうちに旅行にでも連れて行ってあげればよかった」「もっとご飯なんかを一緒に食べればよかった」という後悔の念が湧いてしまう。ああすればよかった、なんて。この宮滝に、おばあちゃんが生きているうちに遊びに来れる日はもうそれほど多くないことにはとっくに気づいていたのに。
おばあちゃん家のすぐそばにある、というか僕も小さい頃は散々このグラウンドで遊んだ「宮滝野外学校」は廃校をそのまま利用して合宿なんかに使えるようになっている。
冒頭で書いた通り、梅雨のせいで今年の夏には利用できなかったので、即座に2020年の予約を入れてやった!
「元教室」に宿泊できる!
過去にSNSで参加者を募ってこの小学校で合宿をした時はみんなで飯ごうを使ってカレーを作ったり、
川で泳ぎまくったり、
お隣の大淀町の縁日に行って花火を見たり、
学校に戻ってお酒を飲みながらボードゲームをやりまくった。
参加した人が「夏にやりたいこと、全部やっちゃいましたね!」って言ってたので満足度はやっぱり180パーセントくらいあったんじゃないかと思う。いや、マジで、本当に、楽しかった……!
2018年の夏はこの宮滝ツアーにはじまり、京都大学の吉田寮に出入りしてたりで、マジで本気に完璧に近い、楽しい楽しい夏だったのに、なんで2019年はこんなことになったんや……!
そんな宮滝のほど近く、喜佐谷(きさだに)にある天武天皇ゆかりの桜木神社。
その桜木神社の真下を流れる象(きさ)の小川。この写真を撮ってる時に「あ、そういえばここで沢ガニ捕って遊んだことあるぞ……!」と思い出した。
昔見し 象の小川を 今見れば
いよよさやけく なりにけるかも
大伴旅人
「昔見た象の小川、今見たらいよいよ清らかになっとるな」 ※編注:ヨッピー
1200年前に詠まれた歌だけど、今でも象の小川は清らかなままである。
そしてこの吉野という町は元々、吉野杉に代表される林業で栄えていたのだけど、その吉野杉でさえ安い輸入材に押されてだいぶ衰退してしまっている。吉野の特産品である吉野杉や吉野葛といったものが高級品として知られているのは、古来より「吉野」という地名にブランド力があったからじゃないかと思われる。「GINZA〇〇」みたいな名前のビルがたくさんあるのと同じ理由だ。
そんな吉野にある、宮滝への入り口となる大和上市の駅も年々乗降者数が減ってきているのだ。
実際、僕が小学生くらいの頃は上市の駅周辺でお祭りもやっていたし、それなりに商店街が機能していた気がするのだけど、今ではもうあいているお店を探すのが難しいくらいになってしまった。
もう一度言うけど、吉野やで?
ちなみに「吉野」とひとことで言っても、「天川村」や「十津川村」といった、奥吉野と呼ばれる、日本でも有数の秘境地帯も含むとその領域は広大なものになる。
今回紹介した吉野山や宮滝といった地域は、広大で山深い吉野の中でもほんの入り口くらいのところなのでぜひこれをきっかけにしてその吉野の悠久の歴史を感じてほしい。
そして今回僕はこの、おじいちゃん、おばあちゃんとの思い出の詰まった「吉野」の地をこうやってゴリゴリ推しているのだけど、実際の所、本当の本当に推したいのは吉野の地じゃなくておばあちゃんである。「推しは推せるうちに推しておけ」というのは本当で、亡くなってから後悔するのでは遅いのだ。今回の記事だって、本当はおばあちゃんが生きている間に書いた方が良いに決まっている。
きっとみんなの人生にも、大切な思い出の場所はあるだろう。子どもの頃に通った水族館かもしれないし、初めてのデートで立ち寄ったショッピングモールかもしれない。何度も言うけど後悔してからでは遅い。なので好きなものを好きと発信するために行動してみてほしいなと思う。
僕にとってはそれが吉野で、おじいちゃんとおばあちゃんとの思い出そのものの地なのだ。だから僕はこの吉野に来ることによってふたりを身近に感じることができるのである。そんな吉野と僕のつながり、つまりは僕とおじいちゃん、そしておばあちゃんとのつながりは少なくとも僕の人生にとって大切なものであるので今後も事あるごとに吉野を推していきたい。
吉野と僕とのつながりが無くなることは、僕とおばあちゃんとのつながりが無くなることでもあるからだ。そんな吉野が寂れてしまうのはやっぱり悲しい。だからもし、吉野のために何か僕にできることがあるなら、ノーギャラで交通費も要らないのでぜひ声をかけてほしい。何度も言うけど、吉野は本当にいいところなのだ。
おばあちゃんと、孫が6人。
いつも優しくて、笑っている人だった。
吉野川は万葉の時代から、今日も清らかな流れを湛えている。
※本著者は楽天カード株式会社の委託を受け、本コンテンツを作成しております。