サッカーのド素人がいつのまにか「SC相模原」のサポーターになって人生が彩られた話
去年までサッカーのド素人だったgloveaceさんが、地元のJ2クラブ「SC相模原」と出会い、「お前もうサッカーの人になったよな」と言われるまでの劇的な変化をつづりました。サポーターになったことで「人生が彩られ始めた」といいます。
- 地元にすごいことが起こる予感……初のサッカー観戦へ
- サッカーのド素人を熱狂させた大逆転ゲーム
- アウェイのスタジアムに知らない世界が広がっていた
- またみんなで喜び合いたい、気付けばサポーターに
- 地元クラブのサポーターになって変わった地元観
- SC相模原と上を目指してともに育ちたい
栃木、甲府、千葉、山口、山形、水戸、京都、北九州……。
緑のユニフォームを着て、地元のJ2クラブ・SC相模原の応援のために全国津々浦々のスタジアムに足を運ぶ姿を、1年前の僕は想像もしなかった。
去年まで、僕はサッカーというものをほとんど知らなかった。子どもの頃に、校庭で昼休みに球蹴り遊びをした程度だった。
週末は少年野球の練習と試合、そして両親に車や電車で連れられて東京ドームでプロ野球観戦。そんな野球一家で育った。
サッカーはたまに日本代表戦をテレビで見る程度で、J2ともなると名前すらわからないクラブも多く、サッカーとはほとんど縁のない人生を送っていた。
しかし2021年、知り合いから「お前もうサッカーの人になったよな」「君は立派なサガミスタ(SC相模原サポーターの愛称)だよ」と言われるまでの劇的な変化が起こった。
gloveaceという名前で「SC相模原観戦記」を発信したり、スタグル(スタジアムグルメ)にハマったりと、サッカーなしの生活は考えられないようになった。
この記事では、僕の人生観を変えたサッカーと、地元クラブとの出会いをつづっていきたいと思う。
地元にすごいことが起こる予感……初のサッカー観戦へ
2021年2月、サッカーに詳しい友人と話していたときに、「SC相模原がJ2に昇格した」という話題になった。
SC相模原。聞いたことはあった。どうやら僕の地元のサッカークラブで、近年Jリーグ入りし、2020年シーズンでJ3からJ2に昇格したらしい。そのレベルの知識だった。
サッカーに全く明るくなく、そのときはそのまま話を流したが、数日後に驚くべきニュースを目にした。なんと、あのDeNAが、SC相模原のトップスポンサーになるというのだ。
これは、野球ファンの僕からすれば、ただごとではなかった。
同じ神奈川県内で、あの横浜ベイスターズをあっという間に立て直して人気球団にし、その後Bリーグ(日本のプロバスケットボールリーグ)の川崎ブレイブサンダースの運営にも乗り出した、昨今、最も勢いと成功体験を持つ企業の一つだ。
そのDeNAがSC相模原のトップスポンサーになる。きっとこれから、僕の地元・相模原にすごいことが起こると、ワクワクした気分になった。
サッカーのことはわからないが、これはもう試合を見に行くしかないと感じた。
売り切れ間近のJ2開幕戦のチケットを手に入れ、僕はSC相模原の本拠地・相模原ギオンスタジアムで人生初のサッカー観戦をした。
Jリーグの試合は、新型コロナ対策でソーシャルディスタンスを保ち、従来の歌ったり飛び跳ねたりする応援を禁止した中で開催されていた。
開幕戦となった京都サンガF.C.戦。SC相模原は呆気なく0-2で敗戦した。
それでも、スタジアムの温和な雰囲気に居心地の良さを感じ、スタジアム外周に並ぶキッチンカーから提供されるスタグルのレベルの高さに驚かされた。
まだ食べていないキッチンカーのごはんを食べようと思い、翌週行われたザスパクサツ群馬戦も観戦に行ったが、0-0の引き分けだった。
この試合では相模原ゴールキーパーの三浦基瑛が好セーブを連発し、守備の妙を味わった。初めてサッカーが何となく面白く見えてきたので、3月まではこのクラブを追いかけようと決めた。
翌週はアウェイのファジアーノ岡山戦をネット配信で観戦したが、こちらも0-0の引き分けだった。
開幕3戦ノーゴール。サッカーを見るようになってから、およそ1カ月間、得点シーンを見ていなかった。このままだと一生ゴールを見れないんじゃないかとすら思っていた。
サッカーのド素人を熱狂させた大逆転ゲーム
そんな中迎えた2021年3月21日、J2リーグ第4節・大宮アルディージャ戦。僕はこの試合で、大雨に打たれながらスタンドで涙を流すことになった。
時折、バケツをひっくり返すような大雨と暴風に見舞われながら行われた試合。試合前にはベンチが風で吹き飛んだり、試合中もあまりの大雨でピッチがかすんで見えなくなったりするなど、すさまじいコンディションだった。
ゲームは、前半に大宮に先制点を許し、相模原はなかなか反撃に出れず、時間だけが経過する厳しい展開になっていた。
暴風雨と試合展開、そして開幕からのノーゴール。気持ちが折れかけていた後半の88分、奇跡のような時間が訪れた。
コーナーキックのこぼれ球を平松宗がゴールへねじ込み、SC相模原の同点弾、そしてクラブ史上初のJ2リーグでの得点を決めた。
「ゴーーーーーーーーーーーーーーール!!」
ゴールネットが揺れ、相模原の得点を知らせる大きな声がスピーカーから鳴り響いた。
僕は思わず立ち上がって両手を突き上げていた。ゴールが決まると、こんなにうれしい気分になるのか。知らなかった。
相模原ギオンスタジアムは、土壇場で追いついたSC相模原を後押しする大きな拍手が鳴り響いていた。
相模原の選手がボールを奪うだけで、わっとボルテージが上がる。スタジアムにいる誰しもが、行けるぞ、勝つぞという空気を共有していた。
そして、90+3分、SC相模原の未来を開く瞬間が訪れた。
ユーリのパスを受けた元日本代表・藤本淳吾がペナルティエリア内で左足を振り抜くと、放たれたボールは美しい弾道を描き、再びゴールへと吸い込まれた。
ゴールを決めた藤本はチームの仲間、そしてピッチの脇にいたユースの選手たちと喜びを分かち合っていた。ベンチでは、黒いベンチコートを着た監督・コーチが飛び跳ねて喜んでいた。
僕は驚きと感動で声も出ず、ただただ両手を突き上げて喜んだ。スタンドは総立ちだった。
スタンドから、自然発生的に手拍子が打ち鳴らされた。
僕も泣きながら手を叩き続けた。ふと隣の人を見ると、泣いていた。そのまた隣の人も、泣いていた。
試合終了、そしてSC相模原のクラブ初のJ2リーグでの勝利を告げる長い笛が鳴った。
ピッチの選手は崩れ落ちて喜び、首脳陣は輪になって喜んでいた。スタンド下からは、控え選手たちが全員飛び跳ねながらピッチの方へ駆け出していた。
暴風雨のため観客数は727人と低調だったが、その観客からは雨音に負けない万雷の拍手が送られた。
席を立つとき、僕の手は真っ赤だった。体の震えは、雨のせいではなかっただろう。
帰り際のゲートで、スーツを着たクラブの職員が「来場ありがとうございました」と、マスクの下からでもわかる満面の笑みで観客を見送っていた。
「また来ます!」「応援してるよ。頑張って」などと、観客たちもその職員に返していた。
僕の地元・相模原にこんなに熱くなれるものがあるとは、今まで思いもしなかった。
プロスポーツとは、東京やほかの大きな都市の大きなスタジアムに行って観戦するものだと、ずっとそう思って生きてきた。
けれど、それは違った。これほど身近に、みんなが応援して熱狂できる、地元のシンボルとなるクラブがあった。
SC相模原は2008年に創設されたクラブだ。まだまだ発展途上のクラブで、J1に昇格するためのライセンスも発行されていない。
しかし、今後の発展を見越し、J1ライセンス取得を目指し新スタジアム構想などさまざまな施策が進んでいる。
僕の地元・相模原から、日本、そして世界に通用するクラブを。SC相模原は、走り出したばかりのクラブだ。
このワクワクするクラブの行く末をずっと見ていたい。このクラブとともに育ちたい。あのうれしそうに頭を下げていた職員を見て、そう思った。
僕は、SC相模原を応援することに決めた。
アウェイのスタジアムに知らない世界が広がっていた
そう決めると、早速4月に栃木、甲府、千葉と、相模原から近場のアウェイの試合を立て続けに観戦しに行った。
他クラブのホームスタジアムには、それぞれに僕の知らない世界が広がっていた。
栃木県グリーンスタジアムのスタグルのおいしさ。
甲府のJITリサイクルインクスタジアムで感じた、ヴァンフォーレ甲府のサポーターの熱量。
千葉のフクダ電子アリーナ、スタジアムの美しさ。
どれも新鮮だった。
また、クラブを応援する場所は、スタジアムにとどまらないことも知った。
アウェイ観戦で訪れた多くの駅や空港には、地元クラブを応援するのぼりや横断幕などがあり、それを見ると、敵地にやってきたという実感を得られた。
さらに、ホームタウンの市町村、あるいは県全体が、クラブのポスターや幕などを町中の至るところに掲げ、地元クラブの後押しをする光景がよく見られた。
クラブが街にもたらす結束感が、さらに街の魅力を高めているように感じた。
そして、その度に、僕にとってのSC相模原と同じように、この街にも地元の人々から愛され、応援されるクラブがあるのだと感じた。
またみんなで喜び合いたい、気付けばサポーターに
相模原ギオンスタジアムで行われるホームゲームにも通い続けた。
しかし、前半戦はクラブ初のJ2リーグでの戦いということもあり、苦戦を強いられる展開が続いた。
特に、5月1日に行われた第11節、FC琉球戦はその最たるゲームだった。
J2上位の琉球の多彩で素早い攻撃に翻弄(ほんろう)され、序盤から失点を重ねると、最終的には1-5というスコアで完敗を喫した。
後半は試合を見るのもつらく、選手たちが必死にプレーをしているのに、どうしても覆せない差を思い知らされた。
しかし、この試合を見て、僕はSC相模原を大好きになっていたことに気付かされた。
試合後にスタンドを周りサポーターの前に整列して一礼するとき、選手たちは皆、悔しさや無念さをにじませた顔をしていた。
この試合のために準備し、練習を重ねてきたことを知っている。勝つために、監督やコーチが策をめぐらせ、選手も必死にそれを体現しようとプレーしていたことも知っている。
勝利後の笑顔にあふれた挨拶をまた見たい。悔しさにまみれた顔が、笑顔に変わる試合を見に行きたい。そのためにずっと応援したい、と思うようになった。
地元・相模原のクラブのために全身全霊で戦う選手ひとりひとりのことが好きになっていた。
僕が応援するSC相模原は、J2の中ではまだ強いチームではない。負けることもたくさんある。けれど、相模原をJ3に降格させないよう、必死に戦う選手たちに毎試合、心を打たれている。
単純にクラブの勝利を見たいから応援しているのではない。必死にプレーする選手やチームスタッフの努力が報われて、みんなで喜び合える日を夢見て、応援し続けているのだとわかった。
SC相模原と、もっと知らない景色を見に行きたい。
気付けば僕は、このクラブに魅了されていた。
地元クラブのサポーターになって変わった地元観
生活にSC相模原が定着すると、これまで特に何もないと思っていた僕の地元・相模原にも目が向くようになった。
例えば、相模原ギオンスタジアムに出店するキッチンカーの試合日以外の予定を調べて、そこでランチを購入することが増えた。
休日も、SC相模原サポーターが推す店や、SC相模原を応援する店を訪ねることが多くなった。
変化はそれだけではない。
これまで何気なく通っていた道に、SC相模原を応援する自販機やポスターが多くあることを発見した。相模原にあるいろいろな企業が、SC相模原のスポンサーになっていることを知った。
相模原に関係する多くの人が、このクラブをさらに盛り上げようと関わり合っていることを知った。
SC相模原は、気付けば相模原の人間関係のハブになっていた。
僕の地元・相模原に、知らないうちに緑色の熱狂と結束が生まれていたことを知った。
SC相模原がもっと大きくなれば、相模原市はさらに緑に染まる。そうすれば、もっとたくさんの人がクラブを通して関わり合い、相模原はどんどん魅力的な街になる。
地元のクラブを応援する目的は、勝利を求めることだけではない。
もっと奥底にある、生まれ育った街・相模原の誇りと魅力を探し求めることなのかもしれない。
SC相模原と上を目指してともに育ちたい
SC相模原は今、熾烈(しれつ)なJ2残留争いの真っただ中にいる。J3に降格する4枠に入らないよう、相模原を含めた多くのクラブが必死に戦っている。
どうしても相模原に残留してほしい。13年前にこの街に生まれたクラブが、将来さらに大きくなるために、J2残留はどうしても成し遂げたい今年の目的だ。
けれど、冬のシーズン終了時にどんな結果が待っていようとも、僕はこれからもSC相模原を応援し続ける。
なぜなら、このクラブがずっと上を向いて成長してくれることを知っているから。
13年前、僕がまだ中学生だった頃に生まれたSC相模原。今では多くの人が応援し、地元に熱狂をもたらしている。
相模原の学校の校庭から始まったクラブは、13年の時を経てJ2リーグで堂々と戦うまでになった。
きっと、将来はクラブやスタジアムがさらに大きくなり、もっと多くの人が応援するクラブになっているだろう。
僕が子どもの頃には想像もしなかった景色が、今、相模原には広がっている。SC相模原を応援するようになった人間として、この景色を守り、そして広げていきたいと思うようになった。
SC相模原にとって、J2はまだ通過点でしかない。将来J1ライセンスを得てJ1に昇格し、いずれは世界と戦うクラブになってほしい。
いつか、日本を代表するスタジアムや他国のスタジアムで緑のユニフォームを着て、地元のクラブ・SC相模原を応援することが、僕の夢になった。
サッカーには夢がある。
SC相模原のサポーターになったことで、僕の人生が緑色に彩られ始めた。
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