OTA KAZUHIKO Days of Wine&Art アートと一杯 太田和彦、美術と酒を巡る

第4回
「ようこそ日本へ:1920―30年代のツーリズムとデザイン」展と
居酒屋「みますや」でJapanを思う

竹橋、皇居お濠に面した東京国立近代美術館の観光ポスター展に出かけた。

第一次世界大戦が過ぎた1910年代は世界的な海外旅行ブームとなり、大陸の南満州鉄道の国際線化(1910)、パナマ運河の開通(1914)などで日本にも海外からの観光客が増え、政府は「観光立国」をめざして外国人観光客誘致キャンペーンを展開し、画家やデザイナーを動員して宣伝に努めた。そのポスターやパンフレットは外国人の目を意識した「美しい日本」を描き、今につながる日本イメージの原型をつくった。

そのひとつは美人画だ。画家・橋口五葉の《日本郵船株式会社(船内でカレンダーを手にする女性)》(1913年)は、豪華な船室内に当時流行した二〇三高地髪形の着物美人が座り、窓外に大型客船の港が見える。まだ飛行機便のない時代に海外旅行は船で、そこに座る着物美人は日本女性が海外に出て行く姿でもある。

伊藤順三《南満州鉄道株式会社(長春駅)》(1924年頃)は、長春駅プラットフォームのロシア人、中国人、モンゴル人、日本人などさまざまな民俗衣裳の人々を生き生きと描き、蒸気機関車、緑の客車も見える。満鉄とシベリア鉄道は連絡した国際線となっていた。

橋口五葉《日本郵船株式会社(船内でカレンダーを手にする女性)》1913年、横浜みなと博物館蔵
橋口五葉《日本郵船株式会社(船内でカレンダーを手にする女性)》1913年、横浜みなと博物館蔵
伊藤順三《南満州鉄道株式会社(長春駅)》1924年頃、個人蔵
伊藤順三《南満州鉄道株式会社(長春駅)》1924年頃、個人蔵

日本の海運業はおおいに発展し、英米に次ぐ世界第三位の海運国となった。町田隆要《Osaka Shosen Kaisha(横綱太刀山)》(1917年頃)は横綱・太刀山をモデルにした力士が地球の上にどっかと足を踏んで構えるダイナミックな図柄が海運国の自負を表わす。化粧まわしは大阪商船のシンボルマーク「大」に波をあしらっている。

杉浦非水《Japan Tourist Bureau》(1923年)は、山梨県猿橋あたりの風景で、岩にかかる懸け橋をのんびり人馬がわたり、連山(南アルプス)の先に富士山を描く。ごつごつした岩(濃赤)、雲が湧くような連山と神聖な三角の富士(青)、空(黄)と大まかに形態と色を構成した、まことに巧みなデザイン計算だ。非水は私が在籍した資生堂宣伝デザイン室に在籍もした遙かなる大先輩で、たくさん出品されているJTB関係パンフレットなどのグラフィックな日本の風景は様式的洗練がある。

町田隆要《Osaka Shosen Kaisha(横綱太刀山)》1917年頃、函館市中央図書館蔵
町田隆要《Osaka Shosen Kaisha(横綱太刀山)》1917年頃、函館市中央図書館蔵
杉浦非水《Japan Tourist Bureau》1923年、東京国立近代美術館蔵
杉浦非水《Japan Tourist Bureau》1923年、東京国立近代美術館蔵

職業がグラフィックデザイナーの私は、当時の画家やデザイナーが「日本」をどう表現したかに興味がわいてきた。それは例えばフジヤマ、芸者(美人画)であり、力士である。

穴山勝堂は、梢高い松に富士を描いた扇面を配す。伊東深水は釣鐘と紅白の幔幕に桜が散る図に「娘道成寺」を組み合わす。堂本印象は春日大社と鹿の左右に藤の花をあしらう。中村岳陵は〈春山日輪〉として山桜が咲き始めた小山から、薄く遠く山を重ねた大空の真ん真ん中に濃い茶色で日輪(太陽)を置き、上に黄金色の雲を浮かべた、じつに象徴的ですばらしい画面だ。文字は「Japan」と入るだけの一連の作品は、画家がその力量で日本イメージをさらりとポスター用に描いたのが魅力だ。

原弘《『Travel in Japan vol.2(no.3)』の、着物に日本髪で微笑む白黒写真が原節子であるのには驚いた。制作は1936年。原節子はその前年に映画初出演しており、この写真は16歳の時のものだ。グラフィックデザインの先駆者・原弘は、デビューしたばかりの無名女優に日本のイメージを託したのだった。

原弘《『Travel in Japana vol.2(no.3)』1936年、個人蔵
原弘《『Travel in Japana vol.2(no.3)』1936年、個人蔵

見終えて、今「Japan」というテーマで観光ポスターを作れと依頼されたらどうするだろうと考えた。近代美術館を出ると、皇居の濠の石垣と日比谷の高層ビル群にあたる夕陽が美しい。美術館シンボルの赤いモニュメントと夕焼け空もまた。おお、これが「Japan」だと、持っていたカメラで思わず撮影したのでした。

Japan

東京最古の居酒屋「みますや」

神田の「みますや」は、二階建て銅貼りの看板建築、砕石洗い出しの腰壁、長い縄暖簾の構え。広い店内の高い天井に黒光りする太い梁は、堂々たる東京の居酒屋の押しだし充分だ。壁に並ぶ黒札の品書きはいずれも東京居酒屋の正統的な品ばかりで、〈どぜう〉〈桜刺(馬刺)〉から〈ざるそば〉まである。私の気に入り〈こはだ酢〉と〈にしん棒煮〉で、「白鷹」を一杯。ふう、冬は燗酒に限るのう。今や中高年に大人気の満員が続くが、こういう古くささが好きな若いカップルもいて、まわりをなごやかにする。

創業明治38年(1905年)は東京最古の現役居酒屋だ。今の建物は震災後の昭和3年(1928年)のもので、美術館で見てきたポスターが制作され始めた頃だ。もしかすると「これはしゃれてる」と店内に貼られたかもしれない。

作家の個性が最も大切な芸術絵画とちがい、商業美術=デザインは一般多数に共感されることが目的で、それを美術家の技量で作る。「日本の良いイメージを分かり易く描いてください」という注文は、専門画家にとって肩ひじ張らない楽しい仕事だっただろう。私もそういう仕事をしてみたい。しかし今の日本を描くのは難しい。

「昔は良かった」か。昔の日本が変わらず残る居酒屋の貴さをかみしめて盃を重ねた。

photo: Kazuhiko Ota

今月のアート

東京国立近代美術館「ようこそ日本へ:1920―30年代のツーリズムとデザイン」

日本で初めて対外的な観光キャンペーンが始まった1920〜30年代のポスターやグラフ誌、パンフレットなど約120点を通じて、国際社会に向けて発信された日本のイメージを探るユニークな企画展。旅の想像をかきたてる豪華客船や汽車、横綱、和服美人、美しい風景など、当時の日本の観光資源を描いたグラフィックデザインが実に新鮮。
2016年2月28日(日)まで
http://www.momat.go.jp

今日の一杯

みますや

明治38年(1905年)創業、110年もの長きにわたって東京神田で営業を続けている老舗中の老舗居酒屋。大衆酒場らしい、賑やかで和やかな雰囲気と、「やながわなべ」などのどじょう料理や馬刺、肉豆腐といった「安くてうまい」メニューの豊富さで、開店と共に大勢の客が席を競う。ランチの定食も人気。
東京都千代田区神田司町2-15-2
tel.03-3294-5433
営業時間11時30分~13時30分、17時~22時30分/日祝休

おおた・かずひこ

おおた・かずひこ
1946年生まれ。グラフィックデザイナー/作家
著書『居酒屋百名山』『居酒屋おくのほそ道』『ひとり飲む、京都』など。新刊『銀座の酒場を歩く』(ちくま文庫)。BS11局・毎週水曜夜10時〜10時54分「ふらり旅 いい酒いい肴」出演。