OTA KAZUHIKO Days of Wine&Art アートと一杯 太田和彦、美術と酒を巡る

第3回
「プラド美術館展」と焼鳥「伊勢廣」で
古典の価値を味わう

スペイン「プラド美術館」の小品を中心にした展覧会だ。

古典絵画には王宮や教会を飾る威圧的な大作があり、その最大規模は壁画や天井画で、発注された画家は多くのスタッフを率いて、下書き試作のもとに大規模な制作に入った。画家はそういうプロ技術者であり、個人的な趣味で描く日曜画家はいたかもしれないが、蒐集保存の対象にはならなかった。その大作の一方、小さな部屋や私的な礼拝堂で絵を楽しむ「キャビネット・ペインティング」も発注された。日々間近から見られる絵はどういうものだったか。

フアン・バン・デル・アメン《スモモとサワーチェリーの載った皿》(1631年頃)は、20×28cmの小画面に銀皿の果物が描かれているだけの絵だが、そのみずみずしい質感、透明感は「そこに実物があってもここまでは見えないだろう」という「本物以上の存在感」で、ぐんぐん画面に顔が近づいてゆく。

同じくヤン・ブリューゲル(1世)《花卉》(1600-25年頃)は、41×33cmの画面に花だけが描かれる。白、桃色、青、赤、紫と白のまだら、葉の緑が鮮やかな色彩で精緻に描かれ、実物の花以上に花の澄んだ美しさを純化し強調している。ガラスの器はわずかなハイライトだけで質感、形態を適確にあらわす。どちらの絵も背景は何も描かずドラマチックな要素は何もないが、静謐ゆえの存在感が視線をひきつけてやまない。

フアン・バン・デル・アメン《スモモとサワーチェリーの載った皿》、1631年頃、油彩・カンヴァス、20×28cm、プラド美術館蔵 © Archivo Fotográfico, Museo Nacional del Prado. Madrid.
フアン・バン・デル・アメン《スモモとサワーチェリーの載った皿》、1631年頃、油彩・カンヴァス、20×28cm、プラド美術館蔵 © Archivo Fotográfico, Museo Nacional del Prado. Madrid.

ディエゴ・ベラスケス《フランチェスコ・バチェーコ》(1619-22年)は、40×36cmに、17世紀初頭のスペイン肖像画の伝統に従い四分の三正面の胸像で、男の顔と白いフリルだけが描かれ、服や背景は何も描かれない。解説に「モデルはセビーリャの画家で重要な美術理論家、作者の師で義理の父」とある。じっと見ていると、同じ画家である義理の息子がどう自分を描くかをやや心配げに見る目つきが見え、知らない人でありながらどういう人物かがありありと想像できる。一方、作者の画家としての冷徹な観察と、恩師を高い見識を持った人格者に描きたい尊敬心も感じられる。

花などの本質を実物以上に明瞭にするのが静物画なら、人物画はそのモデルの人間性を明瞭にする。これが美術の力だ。全く同じ構図と要素のアロンゾ・サンチェス・コエーリョ《自画像?》(1570年頃)と並べ見ると、後者は自画像ゆえか人間性の描出に厳しさがなく、描写力も含めて技量差は明らかだ。

このほか展覧は、ベーテル・バウス・ルーベンスの画力に充ち満ちたドラマチックな群像《聖人たちに囲まれた聖家族》(1630年頃)や、ヤン・ブリューゲル(2世)の百科全書的に様々な動物の共生を描いた《地上の楽園》(1626年頃)、人気画家バルトロメ・エステバン・ムリーリョのおだやかな母子像《ロザリオの聖母》(1650-55年頃)、浪漫的なエル・グレコの《受胎告知》(1570-72年頃)などが楽しめた。

バルトロメ・エステバン・ムリーリョ《ロザリオの聖母》、1650-55年頃、油彩・カンヴァス、166 ×112cm、プラド美術館蔵 © Archivo Fotográfico, Museo Nacional del Prado. Madrid.
バルトロメ・エステバン・ムリーリョ《ロザリオの聖母》、1650-55年頃、油彩・カンヴァス、166 ×112cm、プラド美術館蔵 © Archivo Fotográfico, Museo Nacional del Prado. Madrid.
エル・グレコ《受胎告知》、1570-72年頃、油彩・板、26.7×20cm、プラド美術館蔵 © Archivo Fotográfico, Museo Nacional del Prado. Madrid.
エル・グレコ《受胎告知》、1570-72年頃、油彩・板、26.7×20cm、プラド美術館蔵 © Archivo Fotográfico, Museo Nacional del Prado. Madrid.

初めて訪れた三菱一号館美術館は、明治27年に建てられた赤煉瓦三階建ての日本最初期の洋館「三菱一号館」を復元し、美術館としてオープンした。周囲を囲む遙か高い無機質なガラス高層建築との対比はまことに美しく、表通りではなく中庭に入口を設けたアプローチがよい。その中庭にはまた、巡るような樹々に包まれた安息感があり、都心のさりげない美術館の洗練された雰囲気はすばらしい。

平日の夕方に、見るからに品のよい中高年紳士や、退社後の鞄を持った人が一人でゆっくりと見ている。中高年ご婦人もOLらしきもまことにシックな装いだ。美術を見に来る人はやはり服装センスが上品だった。

京橋、下町に佇む焼鳥の老舗

余韻を胸に、近くの京橋へ。創業大正10年、東京を代表する焼鳥屋「伊勢廣」に入った。マンハッタンのごとく洗練された丸の内とちがい、このあたりはまだ往年の日本橋下町の雰囲気を残し、横丁をはさんで向かい合う木造二階家の旧館と新館を白衣の店員が行ったり来たりしている。

黒石豆砂利洗い出しの床、真っ白に洗い晒された古い白木カウンター、目の前は焼き台、足元には炭の大箱。厚いオーバーのまま「今日は二階?」と声をかけて上ってゆく会社員は常連らしい。隣のカップルも初めてではないらしく落ち着いて、こういう老舗で一杯やる若い人っていいな。

注文は伝統のフルコース12品。一串はボリュームがあり、もも肉、砂肝、皮、団子など鶏を知り尽くした味はさすがに老舗だ。錫の大徳利から注がれた燗酒は、たっぷり厚い利き猪口に少しも冷めてゆかない。

時代を経て価値の変わらない作品を古典という。ここの焼鳥ももはや古典。新奇な創作もいいが、安心できる古典を味わわない人生はもったいない。

美術を見るのは良いものだ。まるで「腹の足し」にならない美術や音楽にお金を払うのは「心の足し」のためだ。そういうところに一人ででかけてゆく人たちは知的な美しさをもっていると感じたのも大きな収穫だった。

photo: Kazuhiko Ota

今月のアート

三菱一号館美術館
「プラド美術館展―スペイン宮廷 美への情熱」

1819年に王立美術館として開館したプラド美術館の、膨大にして個性豊かなコレクションを垣間みる貴重な展覧会。エル・グレコ、ベラスケス、ゴヤの「スペイン三大画家」や、フランドルの巨匠ボスやルーベンス、「スペインのラファエロ」とも称されるムリーリョなど、ヨーロッパ絵画史の巨匠たちの作品が揃う。小品をじっくり観賞できるのも魅力。
2016年1月31日(日)まで
http://mimt.jp/prado

今日の一杯

伊勢廣

東京駅八重洲口・地下鉄京橋駅すぐという立地ながら、不思議と喧噪を感じさせない一角に佇む焼鳥の老舗。充分な飼育日数をかけ脂の乗り切った雌鶏を毎朝店でさばき、専門店から仕入れるねぎなどと共に、ベテラン職人が姥目樫備長炭で最高の状態に焼き上げる。ランチは焼鳥定食や焼鳥丼が人気。夜はコースで鳥一羽分を丸ごと堪能。
東京都中央区京橋1-5-4
tel.03-3281-5864
営業時間11時30分~14時、16時30分~21時(土曜のみ16時30分~20時30分)/日祝休

おおた・かずひこ

おおた・かずひこ
1946年生まれ。グラフィックデザイナー/作家
著書『居酒屋百名山』『居酒屋おくのほそ道』『ひとり飲む、京都』など。新刊『銀座の酒場を歩く』(ちくま文庫)。BS11局・毎週水曜夜10時〜10時54分「ふらり旅 いい酒いい肴」出演。