OTA KAZUHIKO Days of Wine&Art アートと一杯 太田和彦、美術と酒を巡る

ルーカス・ファン・ファルケンボルフ 《夏の風景(7月または8月)》(部分)ルーカス・ファン・ファルケンボルフ 《夏の風景(7月または8月)》(部分)

第1回
渋谷の喧噪から抜け出し、
風景の旅へ、そして松濤の燗酒へ

何年か前、ウィーン美術史美術館でじっくり古典西洋画を見て、一番魅力を感じたのは風景画と肖像画だ。その収蔵品から選んだ「風景画の誕生」展(Bunkamura ザ・ミュージアム)に出かけた。どんな作品が、どんな視点でならんでいるだろう。

聖書の出来事を主題にした作品がまずある。ヤン・ブリューゲル(父)《キリストの誘惑が描かれた山岳風景》(1605〜10年頃)の縦長画面は、手前に倒木をシルエットに置き、大樹越しにやや人為を感じさせる吊橋と石門を小さく描いて遠景の山に至る。構図の大部分は自然風景で、左下に「よく見ると」と言うほどに小さく、主題であるはずの「キリストにパンを差し出す悪魔」が描かれる。

ヤン・ブリューゲル(子)《エジプトへの逃避途上の休息》(1626年以降)の前景は峠で休息する聖母子で、一番明るく主役だが「お約束により」の雰囲気もある。右は中景で奥深い森に荷駄馬を連れた男が小さくいる。左は遠い湖水が青く古城も見える遠景。包む森は暗いが遠方は光が射して画面の明暗はドラマチックだ。

この前景・中景・遠景をひとつ画面におさめるパノラミックな構成の大規模な作品、ヨアヒム・パティニール《聖カタリナの車輪の奇跡》(1515年以前)は、画面右の高い丘で赤い炎をあげて車輪の拷問具が炎上する激しい光景を描き、その下に場を去る騎士団を中景とし、さらに麓の古城から湾、彼方の水平線までを汎世界的に描き出す。必要もないのに最も目前にごろりと描いた岩は、その世界を見ている作者の視座にも感じる。

ヨアヒム・パティニール 《聖カタリナの車輪の奇跡》 1515年以前 油彩・板
ヨアヒム・パティニール 《聖カタリナの車輪の奇跡》 1515年以前 油彩・板

マルテン・ファン・ファルケンボルフ《東方三博士の礼拝(1月)》(1580〜90年頃)は手前の丘の粗末な小屋で幼子イエスを祝福する東方三博士と黒人の従者はお約束通りだが、左下の凍結した湖水では、そんなことが行われているとは露知らずスケートに興じる人々や、焚き火を囲んで歌い踊る女、屋根修理の男などの世俗の姿が「これを描くのが面白いんだ」というように筆の調子がのる。冷涼な空気感はネーデルラント地方のものだろう。神話と世俗が同居する世界のおもしろさ。

ルーカス・ファン・ファルケンボルフ《夏の風景(7月または8月)》(1585年)は宗教的主題はなく、左の丘は刈り入れや野良の昼食、嘆く男をなぐさめる人、女に追いかけられる男などの俗世界を描き、人々の動きと表情の豊かさは描く喜びがあふれている。その場から丘の下へ羊の群れが導き、やがて大河が蛇行して地平線まで続く雄大な風景はすばらしい。前景を黄と赤の暖色、遠景を青い光に包んだ色彩効果は絶妙だ。

ルーカス・ファン・ファルケンボルフ 《夏の風景(7月または8月)》 1585年 油彩・キャンヴァス
ルーカス・ファン・ファルケンボルフ 《夏の風景(7月または8月)》 1585年 油彩・キャンヴァス

レアンドロ・バッサーノ(通称)《5月》(1580-85年頃)は、風景は遠ざかり、手前で働く人々が主画題だ。

私は翻然と気づいた。この展覧会の言う「風景画」とは、山や川などの風景を単純に描写するのではなく「創造した世界」の風景だ、そこには神話も世俗も、もちろん美しき大自然も地平線の永遠もあるのだと。また働く人々も観賞に値する美しき風景なのだと。

レアンドロ・バッサーノ (通称) 《5月》 1580-85 年頃 油彩・キャンヴァス
レアンドロ・バッサーノ (通称) 《5月》 1580-85 年頃 油彩・キャンヴァス
風景画の誕生風景画の誕生

Bunkamura ザ・ミュージアムから歩いて、松涛の居酒屋「松涛はろう」に入った。昨年12月に開店したばかりで品書きは多くはないが、料理熱心な若主人が古い本から研究した力作が並ぶ。今日の〈刺身盛り合わせ〉は、鯛昆布〆煎り酒、鰹ヅケ、よく〆た小肌、イカは黄味酢など、みな醤油いらず。彼の故郷鹿児島の友人が作っている「酒盗」を使った〈真鯛カマの酒盗焼〉は焼き加減が丁寧だ。

鋲打ちしたアカ(銅)の特注燗付器でゆっくり燗した秋田の「雪の茅舎山廃純米」がうまい。着物に古風な長白割烹着が似合う若奥様は秋田美人。小鉢の山菜〈ミズ〉も秋田から送ってもらったそうだ。

若者に占領された渋谷だが、高級住宅地のここ松涛あたりは大人の町。この店の隣りは松涛美術館だ。カウンター端の白髪の夫婦客は某美術館の帰りだそうで、主人とそんな話をしている。

ツイー……。良い絵を見た後の酒はうまい。買った図録を開いて絵を振り返った。しかし感動はよみがえらない。絵の大きさは無いし、色は全然違うし、部分の拡大再現はあるものの自分で発見した喜びはない。今日も感じたが、西洋油絵の今描きあげたばかりのような生々しい画材の劣化しない力は凄い。超精密な描写が大画面を埋める迫力は本物を肉眼で見ればこそだ。しかし図録は解説がある。あとでゆっくり勉強しよう。

16世紀ごろはまだ芸術の概念などなかった時代だ。画家はその観察力と超絶技巧で世界を創造していた。これこそ芸術の力。観念的な現代美術のひ弱さに思いがめぐった。

photo: Kazuhiko Ota

今月のアート

Bunkamura ザ・ミュージアム
『ウィーン美術史美術館所蔵 風景画の誕生』展

ウィーン美術史美術館の数十万点におよぶコレクションから、厳選された風景画70点により、美術の歴史のなかで、いつ頃、どのような過程を経て「風景画」が誕生したのかを探った展覧会。宗教を主題にした作品や暦図、幻想の風景など、個性豊かなそれぞれの「風景画」の中を旅するようなひととき。
2015年12月7日まで開催

今日の一杯

松濤はろう

Bunkamuraにほど近く、すぐ隣は松濤美術館という立地にあり、大人が腰を落ち着けるにふさわしい一軒。ご主人の郷里である鹿児島と女将の郷里である秋田の食材をはじめ、各地の旬の味を活かした料理に、選りすぐりの日本酒と薩摩の焼酎が揃う。白木のカウンターに利休好みの緑のタイルがなんとも清々しい。
東京都渋谷区松濤2-14-12-101
tel.03-6887-2841
営業時間17時~L.O.23時/不定休

おおた・かずひこ

おおた・かずひこ
1946年生まれ。グラフィックデザイナー/作家
著書『居酒屋百名山』『居酒屋おくのほそ道』『ひとり飲む、京都』など。新刊『ニッポンぶらり旅 熊本の桜納豆は下品でうまい』(集英社文庫)。BS11局・毎週水曜夜10時〜11時「ふらり旅いい酒いい肴」出演。