昼のおでかけ、真夜中の好奇心

山内マリコ 連載エッセイ
【第五回】 ニューヨークは、素敵なハリボテ

飛行機がJFK空港に無事着陸した翌日、ミッドタウンにあるホテル、ル・パーカー・メリディアン・ニューヨークの部屋の窓から外を見ると、一面が白く覆われていた。「ウィンター・ストーム・ジョナス」と名付けられ、セントラル・パークでは歴代二位となる68センチの積雪を記録した大雪の来襲に、見事ぶち当たったのだ。というわけで生まれてはじめてのニューヨーク体験は、非常事態宣言が出され、昼には緊急車両以外は通行止めとなり、ブロードウェイの公演もすべて中止となった、1月23日からスタートした。

朝食をとりにホテルの1階にあるレストランNORMA’Sに行くと、一人客ばかりが粛々とパンケーキを食んでいた。早朝にがんばって通勤してきたという気のいいウエイターのおじさんが出してくれた料理は、どれもこれも美味だ。一口飲むだに「うめぇ!」と声がもれたオレンジジュース、絶妙なオランデーズソースがかかったエッグベネディクト、「外国の味」としか形容できないバナナのパンケーキのいい香り。付け合わせにどっさり盛られた極小サイズの皮付きポテトはしっかり味が濃く、自分の中のジャガイモ観に革命が起こった。工業化が進みまくってなんとなく「メシマズ」なイメージがあったアメリカの食文化だけど、野菜や果物といった素材が美味しいのにはびっくりした。

すっかり上機嫌になり、大雪だろうがせっかくの旅行だからと、目と鼻の先にあるMoMAに行ってみることに。ダウンコートにニット帽、手袋とレッグウォーマー、ソレルのスノーブーツで完全防備して外に出ると、積雪は意外と「あ~こんなもんか」という感じ。地元の富山じゃ一冬に一回くらいはこのくらいの雪が降るので、わたし的にはノーダメージである。そして開館直後のMoMAは、大雪にもへこたれない猛者たちで賑わっていた。しかし昼過ぎには「大雪によりあと15分で閉館します」のアナウンスが……。土産のひとつも買う間もなく閉め出されてしまう。夜に予定していたオフ・ブロードウェイのミュージカル『TRIP OF LOVE』鑑賞は延期となり、仕方なくスーパーで食料を買ってホテルに帰宅。テレビをつけるとおびただしい数のチャンネルはどこも、猛吹雪の様子をハイテンションで中継しつづけていた。

翌日は日曜で、人出も車もぽつぽつという感じ、まだまだ災害の余韻が残っており、そこかしこに親切が溢れていた。横断歩道を渡るとき水溜りに難儀していると、ダンディーな黒人のおじいさんが笑顔で手を差し伸べてくれた。雪が吹き込んだ地下鉄の階段を怖がる小さな女の子の手をとり、一緒に下りた。さまざまな不便を強いられ、すれ違う知らない人と「困ったわねぇ」という表情を何度も交わした。まだほとんどどこにも行っていないのに、わたしはニューヨークが大好きになった。

その次の月曜から街は完全に日常に復した。けたたましいサイレンとクラクションが始終鳴り響いて、これが本当のニューヨークの姿なのかと、正直なところしょげた。もし初日に「ジョナス」に遭遇していなければ、殺伐とした雰囲気に気圧されて、いきおいこの街を嫌いになっていたかもしれないとすら思った。なにしろ根が田舎者なので、人混みが生み出すヒステリックな空気が大の苦手なのだ。

しかしながらわたしみたいな田舎者なしに、ニューヨークというきらきらした大都会は成立しない。この街には、強烈なあこがれを抱いて摩天楼に吸い寄せられる、夢見がちなシングルガールの存在が不可欠なのだ。『女子とニューヨーク』(山崎まどか著・メディア総合研究所)は、ニューヨークに恋したシングルガールの系譜を網羅した一冊。ファッション誌の編集部を舞台にした『プラダを着た悪魔』、60年代ロマンチックコメディをマニアックに模倣した『恋は邪魔者』、アッパーイーストサイドのリッチな高校生を描いたドラマ『ゴシップガール』、そして放送開始から18年が経ついまも愛される『SEX AND THE CITY』の文化史を、それぞれマジックのように紐解いていく。『SATC』のキャリー・ブラッドショー(サラ・ジェシカ・パーカー)を、『ティファニーで朝食を』のホリー・ゴライトリー(オードリー・ヘップバーン)の末裔であるとする第四章に書かれた〈地方出身者としてのキャリー〉は、とくに胸にくるものがあった。

“(キャリーは)余所者だからこそ毎日のようにあれだけ着飾り、有名レストランやトレンド・スポットに足しげく通い、そこで見たことや聞いたことをきらびやかに書くのです。(略)本質的に田舎者であるキャリーがそれを特別なこととしてコラムに書かない限り、『SATC』のニューヨークは存在しません。映画版の『ティファニーで朝食を』や『SATC』で描かれるニューヨークは、真のニューヨークというよりも、田舎の少女たちがそこにたどり着くことさえできれば全ての夢は叶うと信じるキラキラしたオズの国のような存在です。愚かな少女たちの目から見た世界はいつも美しいのです”

たしかにニューヨークはフォトジェニックな街だけど、そこがもっとも輝くのは、目をきらきらさせたまだ何者でもない女の子が、トランク一つで田舎町からやって来た瞬間かもしれない。

けれどいざ住み着いてしまえば、当初あったはずの旅行者の目は失われていくものだ。アーティストでもある著者のニューヨーク暮らしを綴った漫画『ニューヨークで考え中』(近藤聡乃著・亜紀書房)に、こんな言葉があった。

「ニューヨークに住み始めたばかりの人や観光に来た友人が/ニューヨークっていいね~!と話すはじめてのNYへの感動のあれこれは/私もそれ、はじめの頃に感じてた!というものであり、/しかし、いつの間にか忘れてしまったものだからである」(P155 続・未踏の地)。

そしてホリーやキャリーの目を通して見たニューヨークと同じくらいきらきらしているといえば、ガイドブックを通して見るニューヨークだ。漫画の中にも、日本から送られてきたニューヨークのガイドブックを見て、「私の目に映るニューヨークは、こういう感じではない/むしろ、すすけている……」(第65話)とつぶやいているコマがあった。

たしかに肉眼で見たニューヨークの街は、思った以上にすすけていた。全体的に古くて、どこもかしこも汚い。どれだけ掃除してもきれいにならないタイプの汚れだ。そしてあの古さや汚さは、パリのそれとはまるで違っていた。パリ以外の外国を知らないため、比較対象が一つしかなくて恐縮ですが、なんていうか、パリは街全体が経年変化した味のあるアンティークみたいだったけど、比べるとニューヨークは圧倒的にジャンクだった。空港からホテルに向かうタクシーから見た街全体の第一印象は、「サイズ感が大きくて圧倒されるけど、けっこう安普請だな」というもの。超高層ビルの書割っぽさ、イメージ的には重厚でゴージャスの極みだと思っていたザ・プラザ・ホテルも、なんだか軽い感じがしたし、セントラル・パークの周辺で目にした金ピカの巨大な像にいたっては、心なしか彫りが雑な気が……。どこも思ったほど立派でも、頑丈そうでもないのだ。となると街全体が、カメラを通してはじめて本物に見える、巨大な撮影所のように思えてきた。

帰国してすぐ本屋で見つけた『ショッピングモールから考える ユートピア・バックヤード・未来都市』(東浩紀+大山顕著・幻冬舎新書)をめくるなり、こんなくだりがあって唸った。「ディズニーランドが『アメリカのニセモノ』として存在し続けることで、遡行して『アメリカを本物にしたいから』なのではないか」「ディズニーランドは、作り物としてのアメリカを本物にするために『ニセモノの作り物』たるべく細心の注意を払っているというわけだ」。

ニューヨークが本物かニセモノかはさておき、そこで育った文化は豊潤である。帰国してそろそろ半月が経つけれど、ニューヨークへの興味関心はぐんぐん高まっている。この原稿を書く途中、休憩がてらトム・ハンクスの『ビッグ』を観て、いまはなきおもちゃ屋さんFAOシュワルツに思いを馳せた。枕元には『ニューヨーク文学散歩』(スーザン・エドミストン/リンダ・D・シリノ著/刈田元司訳・朝日新聞出版)と『ブックストア ニューヨークで最も愛された書店』(リン・ティルマン著/宮家あゆみ訳・晶文社)を積んで、ちょっとずつ読み進めているところ。

とにかく、メトロポリタン美術館にもグランドセントラル駅にもまだ行っていないので、せめて死ぬまでにあともう一回くらいは行かなくては。滞在中はずっと雪が残っていたので、次に行くなら紅葉がきれいな秋かなぁとたくらんでいる。

山内 マリコ

山内 マリコ
1980年富山県生まれ。2008年「女による女のためのR―18 文学賞」読者賞を受賞し、2012年『ここは退屈迎えに来て』(幻冬舎)でデビュー。著書に『アズミ・ハルコは行方不明』『さみしくなったら名前を呼んで』(いずれも幻冬舎)『パリ行ったことないの』(CCCメディアハウス)『かわいい結婚』(講談社)『東京23話』(ポプラ社)などがある。「CREA」「小説すばる」にて長編小説を、「anan」「TV Bros.」等でエッセイを連載中。

illust: M!DOR! photo: Kiyoshi Mori