昼のおでかけ、真夜中の好奇心

山内マリコ 連載エッセイ
【第四回】 ニューヨークと、旅の心得

海外旅行に縁がなく、これまで一度しか行ったことがない。それも小説のための取材を兼ねて計画したものなので、純粋な観光目的の海外旅行というと、まだしたことがない。行ってみたい国、というのもあんまりない。どんな国であれ、行きたいっちゃ行きたいけど、行けなくても別にいいやと思っている。マチュピチュとかアンコールワットとか、エルミタージュ美術館とかサグラダファミリアとか、生で見たいっちゃ見たいけど、見られなくてもまあ、それはそれで……と。

十代二十代を通して、心の底から海外に行きたいという気持ちが、自分の中から湧き出すことはなかった。けれどその代わり、心の底から引っ越したい!という衝動にはたびたび襲われた。大学生くらいのころは、自分探しのバックパッカー旅行が通過儀礼的なイベントだったけれど、わたしの場合は旅行よりあちこち転居することで、ちょっとずつ大人に近づいていった感じがする。

そういうわけで、旅の魅力というものが、いまいちわかっていない。せっかく旅をするなら、たくさんの収穫を得たい、なんなら人生観を変えるようなやつを……と思うけど、どうすればそんな旅ができるのか、まったくわからない。そもそも旅をする意味がわからない。だって絶対に、「やっぱりおうちがいちばんね」ってことになるに決まっているし。

『旅する哲学 大人のための旅行術』(アラン・ド・ボトン著・集英社)は、そういった疑問に答えつつ、旅の秘訣を教えてくれそうな気がして手にとったが、長らく積ん読してしまっている。「船旅の詩情、ドライヴ・ウェイのポエジー」「エキゾチックなものの誘い」といった目次を見るだにわくわくするものの、なかなか本腰を入れてページをめくれない。はじめて海外へ行くときに、「これを読んで旅への心構えを万全にせねば!」と本棚から出したものの、旅行前は支度に忙しくて、まるで手が回らなかった。

旅に対するこのモチベーションの低さを、自分でもどうかと思う。どうやら、なにかを得ようという気持ちがそもそもよこしまであり、間違っているようだ。『弱いつながり』(東浩紀著・幻冬舎)は、「検索ワードを探す旅」という副題のとおり、グーグルの予測変換的な窮屈さから逃れる手段として、旅を勧めている。観光という言葉の軽薄さ、観光客という存在の無責任さを、「それでいい」と言い切ってくれるのがすがすがしい。旅に過剰な期待をしちゃダメ、ましてや自分探しなんて。そう言ってもらえると、「人生観を変えるようなやつでなきゃ!」と構えていた心もほぐれて、気持ちがぐっと軽くなる。

極めつきは、一年ほど前にNHKの番組表を見ていて目に飛び込んできた、こんなフレーズだ。「本格的でない旅」。『視点・論点』という、普段なかなか見ないタイプの番組名の下にこのテーマが掲げられていて、なにこれ面白そうと思って録画した。語り手は、旅行エッセイストの宮田珠己さんだ。幾多の旅を経験してきたであろう彼もまた、旅は〝観光旅行〟でいいと語っていた。若いころはバックパッカー旅行こそが本格的な旅であると自負し、現地の人とのコアな交流などを無上の喜びとしていたけれど、いつしか旅行者同士で個性的なエピソードの競い合いみたいになり、本末転倒なことになっていたという。たしかにあのころは、バックパッカー旅行帰りの人から、武勇伝的な土産話をよく聞かされた。そしてそういう話を聞けば聞くほど、アジアのひとつも放浪していないことがうしろめたくなった。恥じ入るまではいかずとも、「日本でぬくぬくしててなんかすいません……」くらいの引け目は感じていた。もしかしたらそういう経験が、旅を重苦しくしていたのかも。

でも、本格的でない旅でいいのだ!「とにかくその場にいるということ。そこに来たということ。そしてその場所を生で感じるということ」。ほかの人とは一味違う、高尚な旅でなくてもいい。その地に行っただけで、充分なのだ。

来週、生まれてはじめてニューヨークに行く。それもまた仕事がらみでお誘いを受け、「この機会を逃したら一生行かないかも」と便乗して予定をねじ込んだ。ガイドブックを何冊も買い、時間を見つけてはパラパラめくっているものの、いざどこに行きたいかと聞かれると、やはり別にどこにも……と思ってしまう。けどまあ、行ってみようと思う。

この連載は、昼間におでかけした場所をキーワードに、そこから派生して、本や映画で好奇心を満たそう、という一応のテーマがあり、ニューヨーク旅行も、どんな作品と絡めようかあれこれ考えた。なにしろニューヨークなので、ネタは無限。映画なら『ティファニーで朝食を』もいいけど、ノーラ・エフロン監督、メグ・ライアン主演の『ユー・ガット・メール』も捨てがたい。小説なら『ライ麦畑でつかまえて』かな。ドラマならもちろん『SEX and the CITY』!文字や映像でぼんやりあこがれている彼の地は、実際にこの目で見たらどんな感じなんだろう。ロケ地巡りの醍醐味はやはりそのすり合わせ作業にある。でも、はたと気づいた。行ってしまえばそこは、映画やドラマで見た夢の世界ではなく、現実になってしまうのだ。

2年ほど前、生まれてはじめて行った外国はフランスで、滞在期間のほとんどをパリで過ごした。そしてパリは、それまでわたしが長年、トリュフォーだのサガンだのを通して思い描いてきた夢の世界から、一瞬にして現実に陥落したのだった。実際にその街の空気を吸い、景色を生で見た瞬間に、すべては儚く消え去った。パリに行く前に抱いていた、ほのかに紗がかかったイメージは、くっきりとクリアーに更新され、二度と戻ってこなかった。

というわけで旅行直前のいま、慣れない海外旅行への緊張と、ニューヨークの寒さへの不安と、ウディ・アレンだのポール・オースターだのを通してあこがれた街との訣別の気持ちが入り混じり、大変落ち着かない。もう早く行っちゃいたい。そして早く家に帰ってきて、「やっぱりおうちがいちばんね」を、渾身のしたり顔で言うのだ。

山内 マリコ

山内 マリコ
1980年富山県生まれ。2008年「女による女のためのR―18 文学賞」読者賞を受賞し、2012年『ここは退屈迎えに来て』(幻冬舎)でデビュー。著書に『アズミ・ハルコは行方不明』『さみしくなったら名前を呼んで』(いずれも幻冬舎)『パリ行ったことないの』(CCCメディアハウス)『かわいい結婚』(講談社)『東京23話』(ポプラ社)などがある。「CREA」「小説すばる」にて長編小説を、「anan」「TV Bros.」等でエッセイを連載中。

illust: M!DOR! photo: Kiyoshi Mori