昼のおでかけ、真夜中の好奇心

山内マリコ 連載エッセイ【第11回】
失われた東京を求めて

8月某日、ツイッターでの評判にあおられて、映画館で『シン・ゴジラ』を観た。特撮映画を自分の意志で観に行くなんて、人生初である。なにがどう面白いのか半信半疑でシートに座っていたものの、開始数分でハートをわしづかみにされた。突然降りかかる異常事態、テンポの早い会話劇、スペクタクル感のある画面――こんなふうに問答無用でその世界に引き込まれるのは、そう、エヴァンゲリオン以来だ。

ゴジラは東京湾から呑川(のみがわ)をたどって大田区蒲田に上陸。主要人物によるストーリーは首相官邸などの室内で展開するけれど、要所要所でカメラは外に出て“民間人”の目線で現場が捉えられる。ハリウッドのパニック映画ではどれだけ市井の人々が映されても、しょせんは縁もゆかりもない土地で起こる対岸の火事なのでそこまでドキドキしないが、なにせもうゴジラは蒲田まで来ている。自分ちの方まで近づいて来やしないか、進行方向や直線距離を考えてちょっと身構えてしまった。

ゴジラがどこに現れ、なにをどう壊すのか。これは特撮ファンにとってはとても重要なトピックスらしい。昭和29(1954)年公開の第1作でゴジラは小笠原諸島に現れ、その後芝浦から上陸し都内へ猛進、銀座にやって来て、和光や日劇をバキバキに破壊していた。日劇はすでになく跡地は有楽町マリオンになっているが、和光ビルは昭和7(1932)年に竣工し、戦禍を逃れていまも銀座に健在である。なので、映画の中であっさり壊されているのを観ると、「まだあるのに!」みたいな矛盾した気持ちになった。フィクションとわかっていながら、見知った場所が映るといちいちハッとしてしまう。

この破壊シーンは和光ありきで作られたらしく、なにしろゴジラの身長(50メートル)も、和光の時計塔を壊すときに具合よく頭が出るよう設定されたという。それほど和光が当時、東京のランドマークになっていたということだろう。ちなみに第1作の時点では、まだ東京タワーは存在していない。『東京β―更新され続ける都市の物語』(速水健朗著、筑摩書房)によると「東京タワーを最初に破壊した怪獣はゴジラではなくモスラだった」そうだ。モスラの幼虫が東京タワーをパキッと折って繭を作り、成虫になって飛び立つシーンを観ると、たしかに怪獣によるランドマーク破壊の様式美の究極という感じがする。ただ、原作小説ではモスラが破壊するのは国会議事堂だったらしい。東京タワーに変更されたのは、それが電波塔であり、映画業界の斜陽化の一因にもなったテレビ憎し! という私怨で選ばれたとのことで、なんか面白い。

『シン・ゴジラ』本編でも、地方より東京を優先する理由が述べられていたけれど、特別な理由がない限り、ほとんどの映画やドラマは東京を舞台にしている。上京して10年ほどになり土地勘もついてきて、映画の中に自分の見知った場所や建物が映されると、「おっ」と思うようになった。ただ、映っているのがいま現在の姿の場合、あまりぐっとこない。やはり古い映画に、かつての東京を発見する方が俄然テンションが上がるのだ。現実には失われてしまった街の姿が、映画の中で主人公の背景に映り込んでいるのを観ると、ストーリー云々以上に感激してしまう。

かつての東京がどういう街だったか、どんな建物があったのかを、映画を通して案内してもらうのに最適なのが川本三郎さんの本だ。『銀幕の東京―映画でよみがえる昭和』(中公新書)や『いまむかし東京町歩き』(毎日新聞社)を読むと、昔の東京への興味関心がむくむくと湧いてくる。著者にとって昔の東京は「懐かしい」ものだが、わたしにとってはどれも見たことのない景色。だから正確には、知らない街にノスタルジーを感じるのはおかしいのだけど、たとえばオムニバス映画『女経』(1960年)の冒頭に映される、川にたくさんの船が浮かび水上生活者がそこで暮らしている様子なんかを観ると、懐かしいのかめずらしいのかよくわからない感情がこみ上げ、興奮してしまうのだった。

見たことのない東京を映画の中に発見する一方で、いまも存在する東京のスポットの、過去の様子を見て驚くこともある。小津安二郎の『長屋紳士録』(1947年)では最後、上野の西郷さんの銅像のまわりに、大勢の戦災孤児が居着いている様子が映し出される。以前、上野動物園に行った帰りに西郷さんの前で写真を撮ったことがあるが、そうか、あそこは戦後すぐのころ、こんなふうだったのか。

でも、上野の西郷さんのように、映画の中の姿と現在の姿がほとんど変わらない景色というのはかなりレアケースである。銀座に流れていた川はすべて埋め立てられて道路となり、橋は消えて名前にかつての面影を残すばかり。とりわけ建物でいまも残っているものはめったにない。現役なのは、和光、松屋浅草、浅草花やしきくらいか。ハイカラなデパートだったという白木屋(しろきや)は焼失し、現在はコレド日本橋になっている。日比谷公会堂も耐震工事のため長期休館に入り、1階のアーカイブカフェも閉店してしまった。けど、取り壊さないでくれただけでありがたいと思わなきゃ。

古い映画を通して昔の東京と出会う――残念ながら、地方だとこうはいかない。ただその分、東京はみんなが大挙して街をアップデートし続けているせいで常に「普請中」。景色は非情なまでに、みるみるうちに変わっていってしまう。だから『シン・ゴジラ』で逃げまどう人々が映された街の景色も、数年後には様変わりしているかもしれない。あれは2020年のオリンピックを迎える前の、貴重な東京の姿なのだ。

山内 マリコ

山内 マリコ
1980年富山県生まれ。2008年「女による女のためのR―18 文学賞」読者賞を受賞し、2012年『ここは退屈迎えに来て』(幻冬舎)でデビュー。著書に『アズミ・ハルコは行方不明』(幻冬舎)『パリ行ったことないの』(CCCメディアハウス)『かわいい結婚』(講談社)『東京23話』(ポプラ社)などが ある。 最新刊は初のエッセイ集『買い物とわたし お伊勢丹より愛をこめて』(文春文庫)。「小説すばる」にて長編小説を、「anan」「TV Bros.」等でエッセイを連載中。

illust: M!DOR! photo: Kiyoshi Mori