昼のおでかけ、真夜中の好奇心

山内マリコ 連載エッセイ
【第一回】 浅草と、紅団の時代

上京してから長いこと中央線沿線に住んでいたけれど、思い立って半年ほど前、東側の下町エリアに引っ越してきた。下町というのは定義がいろいろある言葉だから、人によって思い浮かべる街に違いはあるだろうけど、それまで住んでいた西側とは空気はおろか、人種すら違う感じがする。西側の人は一定の距離感を保ったつき合いを好み、東側は、やはり根底にあるのが江戸っ子気質なのか、もっとずっとさばけていて、素敵にあけっぴろげだ。

東に大移動したことでいちばん変わったのは、ちょっとした買い物や映画を観に出かけるターミナル駅である。以前はなんといっても新宿が近かったし、より気軽な気持ちで行けたのは吉祥寺で、ときどきは渋谷にも出た。しかし、いまやそのどれもが遠い。これまではあまり縁のなかった銀座や丸の内に行く回数がぐっと増え、先日は夫のたっての希望で、浅草に行ってきた。

浅草はかつて東京一の繁華街だったけれど、昭和30年代の後半あたりから衰退しはじめ、一時はかなり寂しくなっていたらしい。山手線の駅を作るのを断ったせいだ、なんて話を聞いたこともあるけど、いまのちょっとうらぶれた感じもわりと好きだ。などと思いながら伝法院通りを歩いていたら、あのビッグダディの露店があった。軽く人だかりができていて、立ち止まって首を伸ばすと、暖簾の向こうには施術中のビッグダディ本人の姿が……。噂どおり、けっこう小柄だった。

浅草へは今年の6月にも、「東京マッハ」という句会のイベントで、東洋館に行ったばかり。ここはいまは漫才や漫談などの寄席だが、昭和26年に開業したときは浅草フランス座という名前のストリップ劇場だったという。スターになる前のビートたけしがエレベーターボーイをしていたことでも知られていて、以前テレビでたけしが浅草時代のことを語っていたのを見たことがあったから、東洋館の狭い狭いエレベーターに乗るときはちょっと興奮した。たけしは客がいないとき、入り口に座り込んで文庫本を読んだり、師匠の深見千三郎に教わったタップダンスの練習をしていたという。劇場の入り口にはたけしと共に、座付き作家だった井上ひさしの写真も飾ってあった。

その東洋館から目と鼻の先にあるのが、夫が今回、どうしても行きたいと熱望していた浅草ロック座――ストリップ劇場の超老舗である。浅草ロック座でググると、踊り子たちに囲まれてものすごく幸せそうにしている永井荷風の写真が必ずヒットするが、この街に通っていた小説家は多く、戦前は谷崎潤一郎や川端康成もよく来ていたそうで、いずれもこの街を舞台に小説を書いている。浅草といえば、なんといっても川端康成の『浅草紅団』だ。1920年代終わり、不良集団「浅草紅団」のリーダー弓子に浅草のアンダーグラウンドを案内される作家の〝私〟によって、猥雑かつちょっと不気味な街の胎動が描かれる。尋常じゃなく人をわくわくさせるあらすじそのままに、当時の読者はこの小説に夢中になって、聖地巡礼とばかり浅草に詰めかけたという。

いまでは考えられないけれど、当時の小説はイケてるメディア。昭和4年から5年にかけて夕刊に連載されていた『浅草紅団』は、情報発信としての機能を持ち、リアルタイムで浅草の流行や風俗が描きこまれているため、そのまま街歩きガイドになっていたんだとか。なにしろ、エノケンが旗揚げした劇団カジノ・フォーリーを鑑賞する場面では、踊り子が実名で挙げられている。

その梅園龍子という名前を検索すると、川端康成のお気に入りだったようで、わずかな期間だが女優をしていたことが発覚。しかも『乙女ごころ三人姉妹』は、成瀬巳喜男の監督作! 原作は『浅草の姉妹』といい、これも川端康成の作品だった。

ところで『浅草紅団』には、名前を晒されている実在人物がもう一人登場する。河合澄子は浅草オペラでアイドル的人気を博したスター。写真を見ればたしかにハッとするほど可憐だ。『幻の近代アイドル史: 明治・大正・昭和の大衆芸能盛衰記』(笹山敬輔・著)によると、大阪から上京したばかりの18歳の川端康成が、この河合澄子にかなり入れあげていたとあった。

もうちょっと『浅草紅団』のことが知りたくて、買ったままになっていた『モダン都市東京 日本の一九二〇年代』(海野弘・著)をめくってみる。それによると『浅草紅団』は、「都市文学」として名作であるという。たしかに、話の筋はなんだかよくわからないものの、文章からは、街が放つ異臭がぷーんと立ちのぼってくる感じがする。文字を追ううちに、浅草の幻影みたいなものが目の前に浮かぶ手応えがはっきりとある。ちなみに『モダン都市東京~』には、都市文学とは「バルザックの『人間喜劇』の世界であり、さまざまなものが、同時的に、モザイク的に示される」と書いてあった。『人間喜劇』もぜひ読んでみなければと思って調べるが、これがまたとんでもなく壮大なシリーズもの。短編長編あわせて約90編から成り、登場人物は数え切れないほどいる上、しかも未完。なんという書物……。そうそう、『浅草紅団』も、実は未完である。だから最後の一文が意味不明なのは、気にしなくていいのだ。

3冊の浅草関連本をナイトテーブルに積んで、あっちを読んだりこっちを読んだりしているうちに、時計を見るともう深夜2時を回っていた。

夜が深まれば深まるほど目と頭が冴える宵っ張りで、ベッドの中で本を読む癖がついたのは、中学生のときだ。当時はネットもスマホもなかったから、情報は本や雑誌からパズルのように細切れに知り、映画や音楽を掘り起こして、不器用に我流でつなぎ合わせていった。そうするうちに少しずつ、自分の中にカルチャー体系図のようなものが作られていく。その体系図は人それぞれの個人史みたいなもので、そこに完成はないから、興味も尽きない。おかげで暇を持て余すということがないけれど、こういう趣味のせいで、逆にフラストレーションはどんどん溜まっている気がする。なにしろ自分が生きている間に、この好奇心を満足させることは、絶対に不可能だろうから。

東京に来てからは「街」という楽しみもそこに加わって、休みの日に外に出かけないのが、もったいなくて仕方ない。作品に出てくる街に、電車でふらりと降り立てるなんて、夢みたいだ。

さて、浅草ロック座は思ったよりもきれいで、猥雑さはなく、アットホームといってもいいような雰囲気だった。常連さんと思しき男性たちは、みな幸せそうに曲に合わせて手拍子して、なんていうか非常にいい感じ。踊り子さんは堂々たるダンスで、じわじわとステージの先端へ歩を進める。客席いっぱいのメンズの視線を釘付けにしながら、しかし媚びた笑顔などなく、誇り高いツンとした表情なのが素敵。彼女たちがぐるぐる廻るステージで、アクロバティックな体勢のポーズを決めるたび、われわれ観客は精一杯の拍手を送る。この拍手はただの拍手じゃない、彼女たちの人生へのエールや! そんな気持ちで。

街には『浅草紅団』のころの面影はほとんどなかったけれど、一箇所だけ、濃厚にそれっぽい店を発見。「東京蛍堂」という、大正ロマンのアンティーク雑貨を扱う古物商店だ。場所は洋食のヨシカミの真裏。建物は、大正時代からあった大衆食堂、野口食堂の従業員宿舎跡という。ホームページを見ると、現役で営業している野口食堂が、映画『乙女ごころ三人姉妹』に映り込んでいるという情報が。これはもう、名画座でかかる日が本当に待ち遠しい。

ふらふら~と店に入り、ふと顔を上げた鴨居に、魅力的な少女の絵が飾られていた。それは山川秀峰という日本画家の木版画で、『婦女四題 秋』という作品だった。髪を当時流行りのラジオ巻きに結った少女は、小さく結んだ紅い唇と聡明な目がとても可愛らしく、臙脂(えんじ)の羽織の裏にはハートやクローバーといったトランプの柄がちりばめられている。ちょっとカジノ・フォーリーの梅園龍子に、似てなくもない。美人画というのはどれも美人に違いないけれど、ここまでチャーミングな顔つきの子には、なかなかお目にかかれないのではないか? 店主に訊くと、値段は約5万円という。それは……買えない値段では……ないのでは!? 夫とごにょごにょ密談し、持ち金を出しあって、思い切って買うことに決めた。わずかだが染みや傷みがあるから、これだけ安くなっているのだそうだ。オリジナルは、東京国立近代美術館に所蔵されているという。

山川秀峰は川端康成より一つ年下、『婦女四題 秋』は昭和2年の作品というから、『浅草紅団』の時代にも、きっとこんな女の子が街を歩いていたんだろう。

山内 マリコ

山内 マリコ
1980年富山県生まれ。2008年「女による女のためのR―18 文学賞」読者賞を受賞し、2012年『ここは退屈迎えに来て』(幻冬舎)でデビュー。著書に『アズミ・ハルコは行方不明』『さみしくなったら名前を呼んで』(いずれも幻冬舎)『パリ行ったことないの』(CCCメディアハウス)『かわいい結婚』(講談社)『東京23話』(ポプラ社)などがある。 「CREA」「小説すばる」にて長編小説を、「anan」「TVブロス」等でエッセイを連載中。

illust: M!DOR! photo: Kiyoshi Mori